手をパンと叩いたら・再録

劇団笛 第28代代表
4回生  藤井唯


  高校の頃音響に携わり、加えて演劇・役者というものに興味を持った。1年生の時に観た春公演に感銘を受け、劇団笛の門を叩いた。

 いざ劇団に入ってみれば、(各々目指すものは違っていたかもしれないが)それぞれの熱い想いを垣間見て、改めて「創る」ということの素晴らしさを噛み締めることができた。公演のたびに操作席で目を潤ませた。自己満足、そう言われたらそうなのかもしれない。ただ、自己満足で終わらせたくはない、終わらせてはいけない、そんな矜恃はある。

 舞台は観てくれている人がいなければ成り立たない。舞台は裏方の支えがなければ成り立たない。
舞台は役者がいなければ成り立たない。
全て噛み合って始めて、心が動くのだ。

そんな当たり前のことを痛いほど思い知らされたのが去年。コロナ禍による活動制限、イベント禁止。
生で観てくれる人もいなければ、団員同士会うことも出来なかった。次第に舞台は閑古鳥が鳴き、冷めないと思っていた熱はいつの間にか氷点下にあった。

 氷を溶かすのにはひどく労力がいった。
 あんなに楽しかったことが、辛くなった。
毎度飛び込む事務仕事、周りの声、そして重くなる団員の腰。だんだん事務連絡にも返事がなくなり、
外出自粛のせいもあってか「孤独」の文字が鋭く私を睨み続けていた。私ばかり、そんな馬鹿げた二流の思い込みが、じわじわと心を蝕んだ。

下を向いてもどうにもならないと分かっていつつも、1人では何も出来ないという怒りと悲しみと情けなさが皮肉にも期間限定フレーバーのように陽気な声を上げていた。

1度考え始めたら終わりである。活動停止の令を受けても、自分得意のど根性で乗り越えられると思っていた。それでも、孤独という思い込みの中では無力だった。こんなにも弱い人間だったのかと自責の念ばかり大きくなった。

そればかりか、好きだった演劇が大嫌いになった。
私はずっとずっと役者がやりたかったけれども、
オーディションでは「選ばれない」人間だった。
役者発表に名前がないのを見る度、「次こそは頑張ろう」と悔し涙の裏で思った。
最初こそ姿勢なりセリフ読みなり、こんなご時世になる前は深夜の研修棟前で1人練習したものだ。
別に役者に選ばれようが選ばれまいが、その時の演出の意向によりけるので、選ばれないからといって=ダメという訳ではない。スポーツのレギュラー争いとは全く異なることを他の団員に向けて注意書きしておく。どんな役にもその役の役割がある訳で、どの役が凄いとかそんなことは決してない。
役者でも裏方でも、自分の役割を果たせる人間は誇って良い。その中でも私は音響という裏方にプライドと責任、熱情をもって向かい合った。これだけは胸を張って言える。

ただ、「私」の、「私」のやる役者に関しては、殻を破れない真面目一辺倒の面白味に欠ける人間であり、舞台上での会話ができないことに問題があったと思う。他人の視線と顔色をひどく気にして、自然な自分も演じている自分も100%を出すことは出来なかった。普段は痛いほど共感して人の顔色を伺いながら生きているのに、舞台にあがった瞬間人の気持ちがわからなくなる。結局、舞台も虚構であるからであろうか。嘘の気持ちはわからない。
自分が観客側ならばわかるだろうに、舞台上の私に向けたコミュニケーションになった瞬間わからなくなる。演じている人の気持ちは難しい。

そんなことをぐるぐる考えるうち、なんだかひどく苦しくなった。何のために劇団に入ったのかわからなくなった。自分が選んだ道故に、自分を恨んだ。
みんなの前で演技をすることが怖くなった。

笛に入らない世界線があったのなら、今頃自分は何をしているんだろうと考えた。きっと自分のスケジュール管理に苦しむこともなく、忙しさに潰されるようなこともなく、有意義な大学生活を…

そこまで考えて、私は私の頬を叩いた。
自分の責任の元にあることを、たらればで語るなよ、と。そしてきっと、笛に入っていなかったらさぞかしつまらない人生になっていたぞ、と。

1年生の時に観た演劇と、1年生の時初めてみんなと創った演劇を思い出した。熱さの前には疲れも無力で、創ることが楽しいからこそ私は頑張れたのだ。
もちろん熱さだけでは何も出来ないこともあり、現実と向き合って考えなければならないこともあることはわかる。それは代表としての責任。口ぐせのようにみんなへ決して必要のない無理はするなというのはそれ故に。熱に背中を押されても、熱に浮かされてはいけない。ましてそれを他人に押し付けてもいけない。

ただ一人間としては、願わくばあの熱を取り戻したいと思った。その熱で、氷を溶かしたいと。

やっぱりもう一度、演劇がしたい。
大学生活を笛にかけてくれた団員たちのためにも、
いつも見守って助けてくださるOB・OGの方のためにも、新しく入ってくれた団員たちのためにも、
絶対に、絶対に劇団笛という表現の居場所を
潰してたまるかともがいた。

これまで、私生活でも笛でも、私が大学に入ってからというものの大きなトラブルにみまわれ続けた。
それでも、私は代表だから。文句ばかり言うのは二流だから。常に向上心を持ち前に進まなければならないのだと考えた。それは代表として、一人間としての矜恃、そして私のど根性である。

笛の再スタートのために、やはり私の想いだけでは足りなかった。それは現実面のお話。

まずは活動のために顧問を引き受けてくださった先生に心からの感謝を。お忙しい中、それも課外活動に対してのご好意、恐縮です。ただただ温かく、我々は今後の活動によって感謝を表していきたいと思います。

次に1年活動出来なかったのにも拘わらず、説明会や活動体験に来て、今日まで残ってくれた2年生たち。皆さんの活気が私の背中を押しました。これは紛れもない事実です。本当にありがとう。
笛の公演も観たことがないのにね、今度一緒に観ようね。きついこともあるかもしれないけれど、どうか春公演まで走れたら嬉しいです。頑張ろうね。

次はたった2人で粘ってくれた3年生。
ごめんね、負担が大きいよね。たぶん、逃げたい時もあっただろうし、逃げたまま戻ってこない選択肢もあっただろうに、こればかりは本当に身内ですが頭が下がります。どうか自分の時間も大切にして欲しいと思いますが、あと1年責任もってサポート致しますので、共に頑張れたらと思います。
君たちなら大丈夫、そう思います。抱え込まないことを約束してくださいね。

次はやっぱり同期たち。
就職活動のさなか、ここまで残ってくれてありがとう。みんなの人生が大事なので、どうか無理だけはしないで欲しい。ただ、こうして同期たちに支えられて私は代表でいられました。ありがとう。
なんだか色々あったけどさ、本当に色々あったけどさ、演劇やってたよね、私たち。やりたいね、卒公。

そして、地域の皆様・OB、OGの皆様。
いつもご観覧のため足を運んでくださりありがとうございます。加えて昨年1年間は活動が出来ず、ご心配おかけしたことと思います。
でも、もう私たちは大丈夫です。第28代代表、責任もって笛を支えます。
OB・OGの皆様も、倉庫移転の時から様々なことにご助力頂きまして、心から感謝申し上げます。
どうかこれからも、劇団笛をよろしくお願いします。1度演劇から逃げようとした私ですが、もう逃げないと心に決めました。見守ってくださると幸いです。


「孤独」に睨まれていた頃とは一転、やはり私は、私たちは色んな方々に支えられてここに立っているのだと思う。


スポーツも勉強も万年2位だなんて呼ばれ劣等感に苛まれていた私に、「表現」は数字に囚われない大切さを教えてくれた。

数字と評価に縛られていた中高時代はさながら井の中の蛙、今はきっとど根性ガエル。

色々落ち着いたら、また書きたい。春の匂いに手が震える。

3年前、初めて書いた笛にっきのタイトルが
「手をパンと叩いたら」だった。確か、拙い文章でプロ意識について書いた。(良かったら読んでください…とか言ってみる)

今日もまた笛が脈打っている。生きている。
大丈夫、大丈夫さ私たちならば。

手をパンと叩いたら。またシーン練が始まる。
笛の再スタートの音がする。



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