からっぽ 谷川俊太郎

ふたをあけたら

なにもはいっていなかった

からっぽなら

なにをいれてもいいのか

それともみえないなにかが

もうはいっているのか

 

ふたをとじても

からっぽはきえない

なにもないのにからっぽはある

はこのなかのからっぽは

そとのからっぽにつうじている

からっぽはおそろしい

 

からっぽに

なにかいれなければ!

なくしてしまったもの

ほしいのにもってないもの

みたこともないもの

どこにもないもの

(朝日新聞夕刊、2020.4/1、谷が俊太郎『どこからか言葉が』、「からっぽ」)


連日続く、先輩方の笛にっきを見ていると、ついこの詩を思い出してしまった。谷川俊太郎の「からっぽ」という詩である。

中に何も入っていない「からっぽ」は、ここでは〈白紙〉や〈キャンバス〉のように真っ新で、可能性に満ちたイメージとしては描かれていない。むしろ「おそろしい」ものとして描かれている。「ふたをとじても」消えることはない「からっぽ」。「からっぽ」は箱の中を超え出て、「そと」の世界までも侵食していく。何もないようで、すべてが凝縮しているようにも見える「からっぽ」。。それを消すには、「なにかいれ」て、「からっぽ」を埋めなければならない。埋めるものは「なくしたもの」かもしれないし、「ほしいのにもってないもの」かもしれない。あるいは「みたこともないもの」や「どこにもないもの」かもしれない。いずれも、いまここにはないものばかりである。ゆえに、もってきて「からっぽ」を埋めることはできない。それらで「からっぽ」を埋めるには、想像力が必要になる。「なくしたもの」を思い出し、「ほしいのにもってないもの」を夢見て、「みたこともないもの」を思い描き、「どこにもないもの」を望む。そうしてようやく「からっぽ」は満ちていく。

先輩方はもうすぐいなくなる。例えば、今日のように通し練習の撮影映像を見て、あれはこうしたほうがいい、ここが面白い、そのように言い合える時間はなくなってしまう。月並みな表現であるが、ぽっかりと心に穴が開く。「からっぽ」だ。放っておくと「からっぽ」は不安が、「おそろし」さ湧いてくる。先輩の後を継げるのか、やっていけるのか、運営はどうやっていくか……。「からっぽ」がある限り、「おそろし」さは止まない。「からっぽに/なにかいれなければ!」。先輩方との過ぎ去った思い出を読み返すのもいい。後輩たちとの未来を描くのもいい。まだ見ぬ団員たちを、笛の今後を期待するのもいい。そうして「からっぽ」は埋めなければならない。

乗り越えていかなければならない時期に来たのだ。きっと。








寂しいな。

3年・杉本涼真

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劇団笛令和3年度新入生歓迎公演

『贋作・不思議の国のアリス』

作・松本大志郎 演出・杉本涼真

7月15日(木)20:00開演

7月16日(金)19:00開演

(30分前から入場可能)

@大学会館大ホール 入場料無料



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