凝縮
おはこんにちばんは。
三年の杉本涼真です。挨拶を凝縮してみました。ぎゅぎゅっと。
早くも夏休みが終わり、劇団笛はいよいよ冬公演に向けて動き出しました。
本日も昨日に引き続き、台本決めを行いました。
私たちがこれから何をつくりあげるのかを決める大事な作業、それが台本決めです。
私たちは何がしたいのか、何を見てもらいたいのか、お客さんたちは何を求めているのか、主題は何か、演出はどうするか、劇の規模はどうするか、時局性は含めるのか……。
台本決めは、そのようなさまざまな問いが凝縮された点にも思えます。問いの密度が高まれば高まるほど出来上がる作品の可能性も増していく。できるだけ問いが多く、濃い台本を選びたいものです。
まぁ、複雑すぎても濃厚すぎても胸やけがしてしまうんですよね。固めすぎもダメ。ほどよさが必要というわけです。うん。めっちゃ難しい、けどめっちゃ大切。
ともあれ始まりました冬公演への道のりは、長いようで、実は短いと私はあせあせと思っています。道のりが短いのならば、目的はすぐ果たせるかといえば、とんでもない。むしろ、やりたいことをやるためにまずやるべきこと、それをこなしているうちに、やりたいことをやる時間がどんどんと過ぎていってしまう。そうして結局、やりたいことができなくなってしまった演劇を、お客さんはおそらく楽しく観ることができません。短い道のりでは、やるべきことをやりとげるその早さと間違いのなさとが重視されすぎてしまう。その狭さ限界の近さに私はあせあせとしてしまっています。
いや、だからこそかもしれませんね。狭いからこそ、限界があるからこそうまみが凝縮される。なんだか短歌みたいです。三十一文字の宇宙、でしたっけ。
そうそう、最近、どうしようもなく心に突き刺さった短歌と出会ったんですよ。
寺山修司の作品なんです。
飛べぬゆえいつも両手をひろげ眠る自転車修理工の少年
(寺山修司『寺山修司全歌集』初版、講談社学術文庫、講談社、2011年、p135)
私はこの歌が、夢の叶わない、閉ざされた自転車修理工の少年の歌だとは思いません。少年は飛べない、だからこそ、いつも両手をひろげて、そのたびに飛んでいるんだと思います。それはもしかすると、実際に空を飛び回るよりも、本当に自由に空を飛び回ることができているのかもしれない。
どこまでいけるかわからない短さの中で、どこまでもいきたいものですね。
そんなこんなで本日の笛にっきは題名通りの凝縮版。筆はこの辺で置きましょう。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
それではまたお会いしましょう。
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