成人の日に寄す
明けましておめでとうございます、寺島響です。
年が明けてからそれなりに経ち、もう日常が戻ってきている頃だと思います。
どうでしょう、体調など崩されていませんか?
今日(更新が遅くとっくに昨日ですが)の練習は成人式の関係もあり少ないメンバーでできるところを丁寧に確認していました。
どうすれば繋がりが不自然でないか、どうすれば舞台上で映えるか、どうすれば所作に不自然さが生まれないか...
考えることは本当に多いです。
考えて、悩んで、相談して、自分の演技に落とし込んでいく役者の皆様の姿には圧倒されるものがあります。
美しいです、本当に。
今日の笛にっき何を書こうか悩んだんですが、あまり思いつきませんでした。
なので心に移り行くよしなしごとをそこはかとなくかきつくる、徒然草方式で行こうと思います。
少しの間駄文にお付き合いください。
先述しましたが、今日(というか昨日)は二回生の多くが成人式に出ていたようでした。
そして今日は成人の日、ですね。
私も来年には成人です。
そう思うと浮かぶ疑問が一つ。
成人って何なんでしょうね。
「人に成る」とは。
今の私は人ではないのでしょうか。
まぁ、それは屁理屈ですね。
「人(として恥ずかしくない存在)に成る」
ぐらいの意味なのでしょう、多分。
じゃぁ、人として恥ずかしくない存在って何なのでしょうか。
大人とは、ってやつですね。
大人って何なのでしょうか。
今日(というか昨日)の活動で先輩に「女性の演技が上手い」と褒めて頂きました。
「少女でも、女の子でも、女子でもなく、女性」と。
女性って何を以てして他の「生物学的女」を表す言葉と区別化されるんでしょうか。
大人と女性、個人的には近しいところに定義があるような気がします。
淑やかさでしょうか、軸の強さでしょうか、精神年齢とかの問題でしょうか。
私は決して淑やかではありません。
軸の強さは多くの人に褒めて頂けますが、軸が強すぎると駄々っ子になってしまうような気がします。
精神年齢はとんでもなく低いです。
色んな所で「小学生」「保育園児」「五歳児」と呼ばれます。
酷い時は先生に「うちの二歳児の孫と同じ動きしとる」と言われました。
これ言われたの、高校の時です。
私はまだ人として恥ずかしい存在ってことなのでしょうか。
難しいです。
ただ、最近分かったことがあります。
それは、私一人でなんでもちゃんとする必要はない、ということです。
大学にも外にも、既に成人してる人生の先達が多くいることに不意に気付いたのです。
私が壁にぶつかって悩んで立ち止まるときって、大体もう先輩方の誰かが同じところで立ち止まって解決策を見つけて進んでるんですよね。
人生の正解を教えてもらうのは少しつまらないので、止まった時に少しづつ教えを請いながら、失敗しながら進んでいけばいいのではないか、という結論に至ったのです。
多分、新成人の皆さんも、とっくに成人してる大人の皆さんも壁にぶつかって先輩に教えてもらって自分で解決しながら人として恥ずかしくない存在になったのでしょう。
じゃぁ、大人とは。
私なりの答えですが、あとをついてくる後輩たちを見守って教えを請われたときにヒントを差し出せる人、なのではないでしょうか。
あと一年。
私は立派な「大人」に成れるでしょうか。
先達の皆様には見守って頂けると幸いです。
19歳の若輩から先達の皆様へ、愛をこめて。
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【劇団笛 令和3年度 冬公演】
『マリオネットに花束を』
脚本:藤井唯 演出:橋ヶ谷良太
日時:令和4年1月16日(日)
13:00開演・17:00開演
(30分前から入場可能)
料金:一般800円 学生 500円
(高校生以下無料)
場所:C.S.赤れんが ホールⅡ
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