人とことばとパッチワーク

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

現代表の杉本涼真です。初めましての方は初めまして、以前お会いした方はお久しぶりです。

昨日は、山口大学演劇サークル劇団笛令和4年度冬公演『マリオネットに花束を』の公演日でした。ご来場くださった皆様には、当日にも申し上げましたが、ここでも重ねてお礼申し上げます。ご来場いただき、そして数々の温かい感想を残していただき、誠にありがとうございます。今後とも劇団笛の活動を見守って下されば幸いです。また、公演の準備の段階から、OB・OGの皆様、顧問の先生方、地域の皆様には助けていただきました。皆様なしでは完成しない舞台であったと強く思います。深く感謝申し上げます。たくさんの人の支えによって、劇団笛は活動することができている。言葉に書き起こすと、何でもないありきたりなことを、本公演で身をもって実感しました。これからも、劇団笛は、全力の演劇を作り上げていきます。今後ともよろしくお願いいたします。

人の支えを切に感じた本公演でしたが、それを象徴することばがあります。


演劇に必要不可欠なのは「人」です。そりゃ音響とか照明とか道具がないと面白みに欠けますが、でも、人さえいれば演劇は始まります。逆に言えば、どんなに色々なものをこしらえても、人がいなければ始まりません(橋ケ谷良太「国破れて山河あり。機材壊れて演劇あり。」『笛にっき』山口大学演劇サークル劇団笛公式ホームページ、2022.1.16 00:57公開、最終閲覧日2022.1.17)。


われらが演出のことばです。「人さえいれば演劇は始まります」。僕はこのことばを前にして、打ちのめされました。演出さんが笛にっきのなかで言っているように、公演リハーサルの段階で照明機材が壊れるという緊急事態が発生しました。私は、正直に言えば、心が折れてしまいました。あれだけ照明部署の代表さんが作り上げた照明進行が立ち上げられない。それ以前から部署全体で考えつづけてきた計画も果たせない。そして何より、照明演出ありきの舞台であったため、質の低下が免れない。ない、ない、ない。否定群れをなして視界一面を覆ってしまった感覚でした。そんな失意の念のなかで、しかし演出さんは、事も無げに言うのです。「人さえいれば演劇は始まります」と。

「人」。ここにおける「人」にはさまざまな立場の人々が含意されています。私たち公演を打つ演劇人はもちろん、観劇してくださるお客様も「人」のひとりです。演じる「人」と観る「人」。ふたりが揃うことが、演劇はつくられるのだといいます。

いえ、「演劇がつくられる」ではありませんね。「演劇がつくられる」だと、どうしても演じる側が形成したものを観る側へ一方的に提供するように思えます。演出さんは「演劇は始まる」ものだといいました。「始まる」。自動詞表現ですね。「始める」という他動詞表現ではありません。つまり、演劇はおのずから始まるものなのでしょう。その場にいる「人」全員を巻き込んで、演劇の世界が進んでいく。演出さんのことばはまず、そう伝えていると私は感じました。

そして、演出さんはそのうえで、「人」こそが何を措いてもまず重要なのであると言います。演出さんはこうも言っています。「機材が壊れたって自分たちの心が壊れなければ演劇は壊れない!」(橋ケ谷良太「国破れて山河あり。機材壊れて演劇あり。」)。観に来てくれる「人」がいて、演じる私たちが「演じたい!」と強く望んでいるかぎり、その想いを支えに立ち続けているかぎり、「演劇は壊れない」。なんて輝きと弾みをもったことばなのだろうとしみじみと思います。

きっと真新しいことばではありません。しかし、熱量と活力に満ち充ちた生きたことばなのです。失意のなかで響くことばだったのです。少なくとも、私にとっては。



「人」に関連して、もう一つ印象に残ったことをば。

果たして、照明も無事復旧し、舞台は無事、幕を下ろしました。

終演後、団員の多くがこう言いました。

「みんなで演劇を作り上げることができて、よかった」と。

私もおおむねこのことばに同意見です。

ただ一点、好みの問題ですが、私は「みんな」ということばはこの場では使いたくありません。なぜなら、解像度を低めてしまうからです。

「みんな」というのは、本公演の成功のために携わった劇団笛の団員全員を指す言葉なのだと解されます。しかし、全員が全員全く同じ仕方で、全く同じ努力で、全く同じ苦労や苦悩をかけて、本番まで駆け抜けてきたわけではありません。ここで多くは語れませんが、少しだけでもことばにしてみます。



あなたは放送部で培った耳のよさ、歓声の鋭さを活かして、ほぼ毎日参加してくれながら、役者とスタッフとをともに励まし続けてくれたね。周囲を和ませる柔らかな笑顔は本当に素敵です。目の前の相手を励ますことができるというのは、とてつもない才能だなと思うよ。


あなたは中学、高校とで培った運動神経のよさ、体幹の確かさを舞台のうえで如何なく発揮してくれたね。日頃のストイックな態度も相まってより洗練されてたよ。忙しいアルバイトのなか、それでもほとんど毎日来てくれて嬉しかった。色んな役をまた一緒に演じていけたらええなぁ。


あなたは溢れる元気と自律性の高さで、場の盛り上げ役と支え役の両方を器用にこなしてたね。感情に直向きで、ことばに真剣な態度は見ていて清々しいかったわ。たまに危うさも感じるけどね。抱えきれないものがあるんやったら、ちょっと休憩しても良いと思うよ。


あなたは人懐っこくおちゃらけて団員と関わりながらも、その実冷静に周囲の状況に合わせて雰囲気を作ってくれたね。空間を揺らすような低い声と鷹揚な立ち姿は紛れもなく武器やわ。体幹は弱いけど、鍛えたら化けそうやね。いつでもおいで。


あなたは忙しい合間を縫って、優れた観察眼とそれを指摘するための適切な言語化能力を駆使した役者の演技批評をしてくれたね。作曲してくれた音楽は、舞台を間違いなく彩ったわ。物寂しくて、何処までも透き通ってて、きれいやった。忙しい合間に来てくれる、それだけで嬉しいから、気に病まんで。


あなたは教育学部の模擬授業と訳者の両立に身体を崩しながらも、舞台に立ち続けようと擦り減らすように演技を磨き続けていたね。舞台に立つあなたは、まちがいなく主役やったよ。感覚が豊かで、自省的で、でもどこか自嘲的で。たくさんのものを感じて、たくさんのものを考えているんやと思う。相談やったら乗るよ。


あなたは音響操作という大役を任されながら、くじけることなく、あるいはそれをおくびにも出すことなく、改善を探し続けていたね。感性の鋭さに基づく演技の指摘も、いつも助かってる。いつも自分に何ができるか、現状は何が最善か、ということを考えてくれているんやなというのは伝わるよ。いつもありがとうね。


あなたは物書きの仕事に忙殺されながらも、みずからにできることを行い続けてくれたね。歯に衣着せないことばが核心を貫くことも多い。その厳しさとまっすぐさにいつも頼っとるわ。時には譲れないものどうしで喧嘩をすることも必要なんやっていうことを教えてくれるのがあなたやわ。


あなたは舞台に対して真摯で、貪欲で、妥協がなく、それでいてどこまでも感激屋で優しい。学部が忙しいときも、役者のケアをしてくれたね。演技の底上げを一手に引き受けてくれてありがとう。毅然とした態度で役者の演技を批判し続けるのは苦しくもあったと思う。それでもあなたのおかげで成立した場面もめっちゃあるんよ。


あなたは学部、アルバイト、照明部署の仕事と三足のわらじを悶えながらも履き進み、舞台の世界を構築してくれたね。誰よりもまじめで厳格で、だからこそ傷つきやすくて反省がちで。無理をしてでも舞台のために身を削るあなたのおかげで賄えている部分も多くて。少しでも、その重荷を抱えられるようになるね。


あなたは学部、アルバイト、衣装メイク部署、役者と四足のわらじを履いて、舞台に臨んでくれたね。どうしようもなくて塞ぎ込むときもあったと思う。常に、相手へのことばを自分に投げかけ返して、それにまた苦しんでいることが多かったね。それでも舞台への愛情を持って、まっすぐ真剣に、最後まで工夫することを止めずに、舞台を支えてくれて、嬉しいわ。


あなたは毎日練習に来て、身体表現としての演技をどこまでも追究してくれたね。身体表現を昇華させると、そこに一種の狂気を見出すことができることを教えてもらったよ。洗練された立ち居振る舞いにはぞっとさせられる。それからあなたからは、演劇経験と夢とが両立するのだということを勇気づけられたわ。きっと、大丈夫よ。


あなたは演出として、とんでもない重責があったと思う。なのにそれを口笛でも吹くように、楽しげにこなしてしまう。ほんまに大人物やね。今回の公演は、あなたじゃなければ成功しなかったと思う。柔軟で、快活で、人を信じて適切な仕事を任せることに長けているあなたは、見えない中心やわね。


あなたはことばにならないことばで、いつも励まし続けてくれたね。バイトと学部とで忙しくて来れないなかでも、パンフレットと音響補助とに尽くしてくれて、そのうえで、ひとりひとりに、心を込めたことばと態度とを考える。それは並大抵のことではないけど、まるでそれが当たり前であるかのようにおこなえるあなたを尊敬するよ。


あなたは職人やね。自分の仕事、自分にできること、そのための時間と方法をいつも適切に考えて、提示してくれる。端的に言ってかっこいい。学部が常に忙しいと思うけど、少しでも道具部署で楽しんでもらえるのならば、僕としては嬉しいわ。その構想力と作成力とを活かした演劇、またしたいね。


そして、あなたには、多大なご迷惑をおかけしました。何度も何度も無理をさせました。何度も何度も我慢もしてもらいました。何度も何度も否定しました。それでも、あなたは劇団笛を、そこに属する団員たちを愛してくれました。誰よりも働いて、誰よりも全力で、誰よりも優しい。「劇団笛に入ってよかった」。団員たちがそういってくれる要因は、あなたにあります。最大限の感謝を。後は継ぎますね。僕なりの仕方で、ですけれど。



それぞれがそれぞれの抱える状況のなかで、それぞれの想いを抱え、それぞれの努力をしながら、それでも『マリオネットに花束を』の公演のもとで、その想いと努力とを繋ぎ合わせた結果が、いまだと私は思います。それはけっして、「みんな」という漠然とした混合態で語れるようなものではありません。語ってよいものではないのだと思います。


だから、これまでの話を踏まえて「みんなで演劇を作り上げることができて、よかった」をあえて言い換えるならば、

「演劇が始まって、きれいに終わって、よかったね」

でしょうか。


……なんだか、力が抜けそうな気もしますね。

まぁ、それもいいんでしょう。公演の締めに肩肘を張っても仕方がありません。

それぞれやりきりました。それがいまはすばらしく、誇らしい。



ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

長々とすみません。どうしても伝えたかったんです。ことばには賞味期限がありますからね。

それではまたお会いしましょう。

失礼しました。


劇団笛 代表

杉本涼真

山口大学演劇サークル劇団笛公式ホームページ

山口大学演劇サークル「劇団笛」のホームページです。 笛に関する情報を発信中!

0コメント

  • 1000 / 1000