終幕、あとがきに変えて
どうも右京です。早速なんですけど、皆さん百鬼夜行ってご存知ですか?
簡単に言ってしまうと、妖怪だとか魑魅魍魎だとかがうろつく様子のことです。
昔の派手な暴走族(ただしこちらは歩き)みたいなもんです。
しばらく百鬼夜行が続くと、とある存在が現れるのです。
それが『空亡』です。読み方は[そらなき]・[くうぼう]どちらもあるそうです。
その姿ははっきりとは分からず、黒い太陽のような姿をしているとも、真っ黒い霧なのだとも言われております。
この『空亡』は妖怪たちの前に突然現れ、百鬼夜行を強制的に終わらせてしまうという、なんとも傍迷惑な存在だそうで。
こういう存在を演劇では『デウス・エクス・マキナ』と呼びます。
めちゃくちゃ雑に言うと、「いきなり現れて物語を強制的に終わらせてしまう、ご都合主義の権化」みたいな感じです。
現代で言うところの、爆発オチとも言えるでしょう。
この『デウス・エクス・マキナ』の使い方は恐ろしく簡単で、危険です。
何かオチに困ったら、「すごい強い奴が物語を全部解決しました。終わり」では、あんまりにもつまらないでしょう。
こういう終わり方は便利ではありますし、一種の爽快感を感じさせます。
でも、つまらない。
築き上げ、思考し、悩み、一度壊し、また作り・・・
育んできた言いようのない何かをこんな形で終わらせるのは、美しくない・・・
そう思うのは僕だけでしょうか?
演劇だけでなく、あらゆる物語には終わりがつきものです。
打ち切りであれ、大長編であれ、自動的に何かしらの終わりが用意されます。
実のところ、物語を始めるのはとても簡単です。
誰にだって、ちょっとアイデアが思いついたその瞬間から物語は始めることができます。
でもそれを完結させることができる人は、そうそう多くないでしょう。
せいぜい最初の一時間書きなぐった後、 飽きてスマホをいじり始めるのが普通です。
終わらせるのは労力がかかります。
何の気もなしに始めた物語でさえ、きちんとした形で完結させることがどれほど難しいか。
やってみればきっとわかります。
そうやってみると、むしろ物語に大切なのは、始まりではなく終わりなのでしょう。
永遠なんてものがこの世には無いように。
すべてのものが変わってしまうように。
僕たちができるのは、いつか迎える終わりをせいぜい楽しむことぐらいでしょう。
なーーんて、ちょっと久しぶりの笛日記ですので、調子に乗ってしまいました。
要するに、「最後までお楽しみ下さい!」ってことです!
この一言を言うのに時間がかかるのは、生涯厨二病を誓った僕の性みたいなもんです。
どうぞお許しを。
それでは今回はこの辺で。ではまた。
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【劇団笛 令和4年度 春公演】
『妥協点P』
脚本:柴幸男 演出:田中晴愛
日時:令和4年6月10日(金)
19:40開演
令和4年6月11日(土)
14:00開演
(30分前から入場可能)
料金:無料
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