「総終」
こんにちは。大上です。
山口の天気ってめんどくさいですね。
晴れたり降ったり、暑かったり寒かったり。
「山口のお天気情勢は複雑怪奇」
総 辞 職
雑談も程々に本日のワークショップはコチラ。
「UFO」デデン!(セルフSE)
トラスト(信頼)系ワークショップ第一号でございます。
さて、このトラスト系ワークショップ得手不得手がはっきりします。
なれど恐れる必要はありません。そんなものです。
トラスト系と銘打っていますが別に信頼度チェックとかではないのです。
できないから、苦手だからといってその人と信頼し合ってないというわけではありません。
それではこれは一体何なのか。
僕は「これから一緒に舞台に立つその第一歩」だと思っています。
舞台上で信頼しあうことはとても大切です。
ですが出会ってあまり時間が経ってない人を信頼しろなんて土台無理な話でしょう。
だからその第一歩として、触れる。目を見る。そして、相手の存在を認識する。
こうして少しづつ、少しづつお互いに距離を縮めていくことがこれらトラスト系ワークショップの意味だと思っています。
さて、早いもので一年生が入ってきてから一ヶ月が経過しようとしています。
そして、なななんと!(高音)あと一ヶ月で僕たち三年生は引退です。
というわけで、笛にっきを書くのも最後だろうということで総集編ならぬ総‘終’編。
しばしお付き合いを。
二年前、劇団笛の新入生歓迎公演を見に行き初めて演劇というものに触れました。
後に先輩となる方々の演技。光。音。
そこで覚えた感動は今なお心に残っています。
その公演を作り上げた先輩方も今では引退。次は僕たちの番です。
ここを去る前に何か残していきたい。
先輩方がそうだったように。
先輩方は偉大だったと。
素晴らしい人だったと。
というわけで笛にいた二年間で僕が感じたものでもここに残しておきましょう。
これは僕の考え、いわば戯言なので一案として聞いてほしいです。
劇団笛で僕はすべての公演で役者として舞台に立ってきました。
そして僕なりの演劇感というものがあります。
それは、演劇の本質は嘘であることです。
役者は詐欺師であり、舞台セットは見掛け倒しのハリボテです。
一度しか言えなかった別れの言葉は練習中に何度といった言葉です。
舞台は全て虚構です。
こんな言い方をしてしまえば演劇って何が面白いんだ?と思うかもしれません。
それを探る手掛かりは当然「嘘」にあります。
嘘の主眼は「人間を騙すこと」です。
誰を騙すか、そして騙してどうするかは嘘が作られた場次第です。
その場にいる人間に特に生産性のない嘘をつく人(大上)もいます。
危険な人間から大事なものを隠すために嘘をつく人もいます。
しかし、こと演劇に関してははっきりしています。
それは、「客を騙し、何かしらの印象を与えること」です。
何かしらの印象というフワッとした表現で申し訳ないのですがこれは劇の内容や演出によったりするので固定されたものではありません。
そして客は騙されるのです。嘘に。ペテンに。虚構に。
見えているものが本物であると騙されます。
ここで疑問。
なぜ客は騙されるのでしょうか。
当然演劇がフィクション(嘘)であることは知っているはずです。
にもかかわらずおとなしく騙されている。
なぜか。
それは客自身も自分を騙しているからです。
つまり客も自分に嘘をついているわけです。
目の前で起きていることが本物だと。
ここまで嘘が飛び交う空間が他にあるでしょうか。いや、ないでしょう。
演劇と嘘はものすごく密接です。
そして嘘と人間は切っても切り離せません。
もしかすると演劇をする人そして見る人は人間らしさを求めているのかもしれません。
それが自分の中の人間らしさを探っているのか、それとも単に人間が好きで他人の中の人間らしさを探っているのかはわかりませんが。
僕は人間が好きです。
音楽、絵画、舞踊、文学、料理、情動、そして演劇。
あれらすべての文明性がただひとえに人間の中から生じたものだということに感動を禁じ得ません。
人間は偉大なのです。
そして自分もその偉大な人間であることに誇りを持っています。
だから僕は僕が人間である限り自分のことが好きで有り続けるでしょう。
自分のことが好きだとポジティブになります。精神衛生的にもなんか良さそうですね。
以上、最後は蛇足になりましたが長々とお付き合いいただきありがとうございました。
もう一度笛にっき回ってくるとかないよね?ないよね?
回ってきたらそのときはそのときです。
だって今回が最後だとして、それに気づかないほうがよほどつまらないですからね。
自分の中では最後ってことで。サヨナラ。
人類至上主義者 大上義貴
山口の天気ってめんどくさいですね。
晴れたり降ったり、暑かったり寒かったり。
「山口のお天気情勢は複雑怪奇」
総 辞 職
雑談も程々に本日のワークショップはコチラ。
「UFO」デデン!(セルフSE)
トラスト(信頼)系ワークショップ第一号でございます。
さて、このトラスト系ワークショップ得手不得手がはっきりします。
なれど恐れる必要はありません。そんなものです。
トラスト系と銘打っていますが別に信頼度チェックとかではないのです。
できないから、苦手だからといってその人と信頼し合ってないというわけではありません。
それではこれは一体何なのか。
僕は「これから一緒に舞台に立つその第一歩」だと思っています。
舞台上で信頼しあうことはとても大切です。
ですが出会ってあまり時間が経ってない人を信頼しろなんて土台無理な話でしょう。
だからその第一歩として、触れる。目を見る。そして、相手の存在を認識する。
こうして少しづつ、少しづつお互いに距離を縮めていくことがこれらトラスト系ワークショップの意味だと思っています。
さて、早いもので一年生が入ってきてから一ヶ月が経過しようとしています。
そして、なななんと!(高音)あと一ヶ月で僕たち三年生は引退です。
というわけで、笛にっきを書くのも最後だろうということで総集編ならぬ総‘終’編。
しばしお付き合いを。
二年前、劇団笛の新入生歓迎公演を見に行き初めて演劇というものに触れました。
後に先輩となる方々の演技。光。音。
そこで覚えた感動は今なお心に残っています。
その公演を作り上げた先輩方も今では引退。次は僕たちの番です。
ここを去る前に何か残していきたい。
先輩方がそうだったように。
先輩方は偉大だったと。
素晴らしい人だったと。
というわけで笛にいた二年間で僕が感じたものでもここに残しておきましょう。
これは僕の考え、いわば戯言なので一案として聞いてほしいです。
劇団笛で僕はすべての公演で役者として舞台に立ってきました。
そして僕なりの演劇感というものがあります。
それは、演劇の本質は嘘であることです。
役者は詐欺師であり、舞台セットは見掛け倒しのハリボテです。
一度しか言えなかった別れの言葉は練習中に何度といった言葉です。
舞台は全て虚構です。
こんな言い方をしてしまえば演劇って何が面白いんだ?と思うかもしれません。
それを探る手掛かりは当然「嘘」にあります。
嘘の主眼は「人間を騙すこと」です。
誰を騙すか、そして騙してどうするかは嘘が作られた場次第です。
その場にいる人間に特に生産性のない嘘をつく人(大上)もいます。
危険な人間から大事なものを隠すために嘘をつく人もいます。
しかし、こと演劇に関してははっきりしています。
それは、「客を騙し、何かしらの印象を与えること」です。
何かしらの印象というフワッとした表現で申し訳ないのですがこれは劇の内容や演出によったりするので固定されたものではありません。
そして客は騙されるのです。嘘に。ペテンに。虚構に。
見えているものが本物であると騙されます。
ここで疑問。
なぜ客は騙されるのでしょうか。
当然演劇がフィクション(嘘)であることは知っているはずです。
にもかかわらずおとなしく騙されている。
なぜか。
それは客自身も自分を騙しているからです。
つまり客も自分に嘘をついているわけです。
目の前で起きていることが本物だと。
ここまで嘘が飛び交う空間が他にあるでしょうか。いや、ないでしょう。
演劇と嘘はものすごく密接です。
そして嘘と人間は切っても切り離せません。
もしかすると演劇をする人そして見る人は人間らしさを求めているのかもしれません。
それが自分の中の人間らしさを探っているのか、それとも単に人間が好きで他人の中の人間らしさを探っているのかはわかりませんが。
僕は人間が好きです。
音楽、絵画、舞踊、文学、料理、情動、そして演劇。
あれらすべての文明性がただひとえに人間の中から生じたものだということに感動を禁じ得ません。
人間は偉大なのです。
そして自分もその偉大な人間であることに誇りを持っています。
だから僕は僕が人間である限り自分のことが好きで有り続けるでしょう。
自分のことが好きだとポジティブになります。精神衛生的にもなんか良さそうですね。
以上、最後は蛇足になりましたが長々とお付き合いいただきありがとうございました。
もう一度笛にっき回ってくるとかないよね?ないよね?
回ってきたらそのときはそのときです。
だって今回が最後だとして、それに気づかないほうがよほどつまらないですからね。
自分の中では最後ってことで。サヨナラ。
人類至上主義者 大上義貴
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