少し離れて
こんばんは。劇団笛1年の井上です。
最近僕の日記が「レポートのようだ」と言われていますが、僕にそのつもりは一切ありませんので気にせず書きます。特に今日は久しぶりの投稿で、話題が数多く浮かんでくるのでいつも以上に張り切って書きます。
突然ですが、僕は約一週間練習に参加していませんでした。そのため、笛日記の投稿も久しぶりとなってしまったわけです。理由はテスト期間に差し掛かったからです。おかげさまでテストは何とか乗り切ることが出来ましたが、その分笛の皆さんには多大な迷惑をかけてしまいました。ここからの練習でしっかり埋め合わせをさせて頂きます。
ここからが本題です。僕はテスト勉強中様々なことを考えました。時計を目にしたら「今頃発声してるな」と思ったり、洗濯物の取り込みの時外の寒さを感じ「練習寒いんだろうな」など、ふとした瞬間に笛について考えていました。意識的に考えることもありましたが、無意識的には多頻度で考えていたと思います。それが僕の生活やテスト勉強に大きな影響を与えたわけではありませんが、少なくとも笛での活動は僕の日常の「一部」になったのだと感じました。
「いつもやってるんだから当たり前だ」と思われる方もいらっしゃると思います。ごもっともな意見です。全くその通りで、あえて主張するなら「当たり前だと言うことが当たり前になった」ということです。言葉にすると訳が分かりませんが、つまり練習することを「当たり前」と言うことに何の違和感も感じなくなった、ということです。だからこそ、その「当たり前」が消えた日常に違和感を感じ、ことあるごとにつながりを求めて、笛のことを思い出すのだと思います。また、僕の中に帰属意識が生まれたのかなとも思います。
ここで気をつけなければならないのは、「依存」にならないようにすることです。あくまで自立した状態で組織に参加する、それが理想的だと僕は考えます。また、「マンネリ」にも注意が必要です。「当たり前」と考えることは旧来のやり方に疑問を持たなくなってしまい、惰性で活動する危険性があります。やはりここでも自立、とりわけ主体的な行動が求められるのでしょう。
こういったことに気付けたことは、貴重な経験であり、そういった面では充実した時間であったと言えます。そこで、次は練習の中身という面で充実させる必要があります。他の人の数倍努力しなければ、時間の埋め合わせは出来ません。一度消費した時間は帰ってこないのですから。この想いを胸に、来週も自らを奮い立たせ練習場に向かいます。
本日は非常に長い文章になってしまい、本当に申し訳ありません。張り切りすぎたようです…。また、ここまで我慢して読んで頂いた方には心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
劇団笛1年 井上幸助
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