お久しぶりの笛にっき

現在劇団笛は新しく入ってきた一年生たちのための春公演に打ち込んでいます。公演を打ち、経験を積み、互いのことを知り、そうして今年はまた新たな一年生を迎える準備をして…。これから先の劇団笛はどうなるかなぁ、なんて期待をしながら、日々活動に打ち込んでいます!

何かが異なれば、昨年の今頃はそんな言葉を打ち込んでいたのかもしれません。すべては押し流されました。ご存知のとおり、新型コロナウイルスによってです。猛威を振るったかのウイルスは慣れ親しんだ日常とその仕組みをことごとく破壊していきました。その破壊の一環として、昨年度、山口大学における学生活動は大幅に制限、場合によっては停止を命じられました。劇団笛も例外ではありません。上に書いた過去における未来予想図も、起こらなかった可能性の一つとしてウイルスのがもたらした変化の波に吞み込まれていきました。

すべてが押し流され呑み込まれた後で残ったものは、見知った慣習の残骸とどこまでも広がる空白でした。人と会い、話し、関わるという当然のように享受してきた営みがいとも簡単に崩れさる。あの衝撃は、きっとこれからも忘れることはないでしょう。人と会い、話し、関わるという営みは、一言で、対面という慣習と言い換えられます。これまでのぼくは、対面という慣習を社会において当然視されてきた、つまりは顧みる必要のない程度に自明な基盤として考えていました。揺らぐことはないだろうと安心をしていました。否、そもそも揺らぐという観念すら思い起こさなかったと表現した方が適切かもしれません。しかし、実際はいとも簡単に壊れました。基盤が壊れれば、それを支えに建つあらゆる事物事象にも甚大な被害が出るものです。対面を前提としていたあらゆる計画は修正を余儀なくされました。過去から続く基盤によって観望していた未来の世界は雲散霧消し、ようやく見えた先に在るのはよい匂いのする極楽でも、おどろおどろしい混沌でもありませんでした。希望的観測も絶望的な未来もすべてを吸収し平板化する、そんな虚ろに広がる空白でした。空白の中に立ちすくみ、残骸に触れ、辺りを見わたすうちに、当時の僕は次第に当惑してきたことを今でも覚えています。ここは一体どこで今はいつなのだろうか、そもそも僕はどこからそしていつここに彷徨いこんだのか。さながら不思議の国に迷い込んで、帰り道を探しているアリスのようです。しかし、アリスと大きく異なる点は、目の前に広がるものが奇天烈で摩訶不思議な世界ではなく、瓦礫の散乱するだだっ広い空白であるというところ、そして帰り道なんてものは存在しないというところでしょう。

ぼくたちは今のところ前に進むしかありません。前には何があるか、それは空白です。空白を進むなんて無茶ではないか。その通りです。それでもぼくたちは空白を進むしかありません。なぜなら帰り道はないのですから。だから、ぼくたちは空白のその先に何かがあると思い込んで、その思い込みをかたちにして、掴み取って、自身の生活を組み立てていかなければならないのかもしれません。

劇団笛は今、そんな再編のさなかにあります。

お久しぶりです。初めましての方は初めまして。

三回生の杉本涼真と申します。

長らく更新の止まっていた笛にっきでしたが、本日より再開いたします。

笛にっきは基本的に、公演に打ち込むぼくたち劇団笛の様子をブログを見ていただいている皆様にお届けするためのものです。昨年はコロナウイルスの関係で、公演はおろか活動自体が行えず、更新ができておりませんでした。

その笛にっきが再び活動を始めたということは…。

そうです。劇団笛は今年、春公演を打ちます。演目は今は秘密です。

日時について、こちらは新型コロナウイルスの流行がどうなるかがまだ予測が立たないため、まだお伝えすることができません。

公演を打つために、今はコツコツと感染対策をしていくしかありませんね。

また活動制限・停止期間中、劇団笛は多くの人にお力添えを頂きました。温かい声援もいただきました。そのおかげもあって、劇団笛は空白を進むことができています。

この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。

そして、これからも劇団笛を宜しくお願い致します。

現在は春公演に向けて練習中です。今年の春公演は、昨年公演を打てなかった現二年生の初舞台でもあります。空白期間があったにも拘らず、二年生は10人も残ってくれました。それも、ただ残るだけではなく、高温のやる気を伴って練習に励んでくれています。彼らの熱量は現在の笛の大きな推進力となっています。また今年は、本来であれば既に引退をしている四年生も一部参加をしています。就職活動や卒業論文で忙しいことが推察される中、本当にありがたい限りです。

多くの人の助けによって、劇団笛は再び立ち上がり、歩き出そうとしています。

歩き出す先は依然として真っ白です。懸命に組み立てたものがまた容易く壊されてしまうかもしれません。

しかし、それでもきっと、立ち上がって歩き出せば、いずれ何かが変わるはずです。

もし変わらなくても、動かなくて変わらなかった場合と歩き出してもなお変わらなかった場合とではやはり意味は異なります。前者の場合、何も行動をしていないため、環境は変化せず、ぐるぐると円環の中からは抜け出せません。後者の場合、歩いても結果として環境は変えられなかったという意味では前者と似ているように見えますが、“この方法では変わらなかった”という経験を得たという意味では変化があります。どうせ変わらないなら、少しでも何かを得たいと思うのが我儘なぼくの思いです。

そうして空白を歩き続ければ、そうしてふとした拍子に自身の進んできた道程を振り返れば、様々な経験がノートに書かれた物語のように空白を埋めているはずです。その物語は、きっと輝いて見える。

今はそう信じていたく思います。

最後に昨年ぼくが励まされた言葉を一つ。

「私はあなたがたに告げる、人間は今もおのれのうちに混沌をもっていて、舞踏する星を産み出すことができなければならぬと。私はあなたがたに告げる、あなた方は今も混沌をおのれのうちにもっていると」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』初版30刷、中央公論新社、中公文庫、2011年、手塚富雄・訳、24頁)

混沌は宇宙と読みかえてもいいかもしれません。ぼくたちの内側には、熱く舞い踊る「星」を「産み出す」可能性が、その力が、宇宙が今もなおあり、その力を発揮して星を産み出さなければならないのだと、ニーチェは言っています。きっとその出産は過酷なものでしょう。自らが産み落とす星の熱量と暴力でぼくは無事じゃすまないかもしれません。しかし、それでも生まれたその星はきっとまばゆい輝きを放つに違いありません。歩いてきた空白を埋めるくらいの輝きを。

星、産み落とせるかなぁ。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

それではまたお会いしましょう。

三年生・2021春公演演出

杉本涼真

山口大学演劇サークル劇団笛公式ホームページ

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