キノコになった私は
「きみはごちゃ混ぜにしてる……大事なこともそうでないことも、いっしょくたにしてる!」(サン=テグジュペリ著『星の王子さま』第四十二刷、新潮社、2013年、河野万里子訳、三十七頁)
『星の王子さま』の一場面である。砂漠に不時着した「僕」のもとに突然現れた「王子さま」。「王子さま」は「僕」に、不思議な、しかし心に残る言葉をいくつも語る。「僕」と「王子さま」は少しずつ距離を縮めていく。ある日、「僕」が壊れてしまった飛行機を修理しようと集中していたとき、「王子さま」は故郷に残してきた「花」についての話をし続けていた。集中できずにいらいらした「僕」は、つい投げやりな回答をしてしまう。「僕」の言葉は、その態度は「王子さま」を怒らせることになった。上に挙げた台詞は、「王子さま」の激昂の一部である。
「王子さま」が今の私の姿を見たならば、きっと、同じ言葉を以て、怒るに違いない。なお、「王子さま」は物語の登場人物だから私の姿を評することはないだとか、「王子さま」と友だちになれるつもりでいるのかとかいう質問は、申し訳ないが受け付けない。私にとって、「王子さま」は存在する。それが心の中の存在であれ、どうであれ。だから、今の私を、「王子さま」はきっと見ている。その上で、彼は私を怒るだろう。「きみはごちゃ混ぜにしてる……大事なこともそうでないことも、いっしょくたにしてる!」と。
今の私に「大事なこと」と「そうでないこと」との区別はつかない。区別がついていたことなどあっただろうか。あったかもしれない。それこそ、もっと小さなときは「大事なこと」と「そうでないこと」との区別がしっかりついていたのではなかったか。だからこそ、「大事なこと」にひたむきになれたのではなかったのか。小さいころだけの話ではない。少し前の私は、この「大事なこと」を確かに抱えていたはずなのだ。かけがえのない、大切な何かを、抱えていたはずなのだ。しかし、今の私にはもう、その区別はつかない。。抱えていたものもいつの間にか落としてしまった。私にとっての「大事なこと」とは一体何なのか、何だったのか。分からないままに、ただ漫然と生きてしまっている。
「王子さま」は言う。
「ぼく、まっ赤な顔のおじさんがいる星に、行ったことがある。おじさんは、一度も花の香りをかいだことがなかった。星を見たこともなかった。誰も愛したことがなかった。たし算以外は、なにもしたことがなかった。一日じゅう、きみみたいにくり返してた。『大事なことで忙しい!私は有能な人間だから!』そうしてふんぞり返ってた。でもそんなのは人間じゃない。キノコだ!」(サン=テグジュペリ『星の王子さま』河野万里子訳、三十八頁)
そうか。私は「キノコ」なのか。しかし、「キノコ」とは何なのか。もしかすると、「大事なことで忙しい」と口だけでは言い回るが、実際には何も行動しないような存在、つまり饒舌だが不活性な存在を表現しようとしているのかもしれない。私は『星の王子さま』の研究者ではないため、正当な解釈は分からないが、私はそのように読む。
そのように読んだうえで、私は、自分を「キノコ」なのだろうと評する。最近の私はいつも、口ばかりだ。指示という胞子ばかりは一丁前にはたき散らすくせに、自分は一切動こうとしない。変わろうとしない。散らした胞子のせいで「大事なこと」が見えなくなってしまっているのにも拘らず、「大事なことで忙しい!」と叫んでいる。「大事なこと」と「そうでないこと」との区別もついていないくせに。こんなざまでは、怒られて当然だ。
発声練習、筋トレ、三人一組でのエチュード、そしてシーン練習。本日の活動は以上の通りである。みんながそれぞれの方向に、ひたむきに練習をしている。それでは、私は?
一度見失ってしまったものは、再び見つけ出すのに時間を要する。今日、この笛にっきの中で見つかるとは、思っていない。しかし、それでも、私は見つけ出したいと思う。見つけ出さなければならないと思う。見失ったものが「大事なこと」だからである。区別のつかなくなった私でも、見失ったものが大切なものであることくらいは分かる。逃がした魚だから大きく見えるわけではなく、確かな感覚として分かるのである。「大事なこと」はかけがえのないものであるからこそ、「大事なこと」であるのだ。必ず、見つけ出さなければならない。
「王子さま」は言う。
「何百年も昔から、花はトゲをつけている。何百年も昔から、ヒツジはそれでも花を食べる。なんの役にも立たないトゲをつけるのに、どうして花があんなに苦労をするのか、それを知りたいと思うのが、大事なことじゃないって言うの?ヒツジと花の戦いが、重要じゃないって言うの?赤い顔の太った顔のおじさんのたし算より、大事でも重要でもないって言うの?僕はこの世で一輪だけの花を知っていて、それはぼくの星以外どこにも咲いていないのに、小さなヒツジがある朝、なんにも考えずにぱくっと、こんなふうに、その花を食べてしまっても、それが重要じゃないって言うの!」(サン=テグジュペリ『星の王子さま』河野万里子訳、三十八-三十九頁)
「王子さま」は続ける。
「もしも誰かが、何百万も何百万もある星のうち、たった一つに咲いている花を愛していたら、その人は星空を見つめるだけで幸せになれる。〈ぼくのあの花が、あのどこかにある〉って思ってね。でも、もしその花がヒツジに食べられてしまったら、その人にとっては、星という星が突然、全部消えてしまったみたいになるんだ!それが重要じゃないって言うの!」(サン=テグジュペリ『星の王子さま』河野万里子訳、三十九頁)
「大事なこと」は一見すると、役に立たないものかもしれない。日常生活には必要のないものかもしれない。しかし、それには歴史がある。「大事なこと」が「大事なこと」になるに至った経緯がある。無視してよいものではない。「大事なこと」の辿った歴史は、「大事なこと」だけの歴史である。ほかの何ものかの歴史ではない。その意味で、「大事なこと」はかけがえのない何かである。かけがえのない何かであるということは、つまり、一度完全に失ってしまえば、もう二度と元には戻らないということである。それは、ほかの、どんなに似た何かであったとしても、代わりにはならない。だから、もしも見失ってしまったのならば、必死になって探すだろうし、探すべきだ。取り返しのつかない事態にはなりたくない。
「キノコ」になってしまった私の、再出発の一歩を、今この場から。
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劇団笛令和3年度新入生歓迎公演
『贋作・不思議の国のアリス』
作・松本大志郎 演出・杉本涼真
7月15日(木)20:00開演
7月16日(金)19:00開演
(30分前から入場可能)
@大学会館大ホール 入場料無料
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