一等星じゃなくても

 星に手が届くと本気で思っていた頃がありました。


 こんにちは。四年生の抱です。

 早いもので、おそらく当番として書く笛にっきは現役時代最後になります。

 何を書こう。今までのことでも軽く振り返ろうかな。


--

 私が劇団笛の敷居をまたいだのは三年前。新歓公演を観に行って、開演前の舞台に男性が一人横たわっていたのが強烈に記憶に残っています。

 入団して最初の夏公演は、裏方として参加しました。今でもあの公演の仕込みの大変さは忘れられません。二階建ての家。ゲネプロなしのぶっつけ本番。あの経験は以降公演を作る上で頭を柔らかくしてくれた気がします。

 一年生の冬公演は波乱に満ちたものでした。本当によくやりきったと今でも強く思います。私は恐ろしい数の効果音を流す担当でした。あの頃のことは一生忘れられないでしょう。

 二年生に上がってすぐの新歓公演で私は初めて役を貰いましたが、我が子を失った母親を演じるというのはあまりにも未知の世界でした。この公演はぜひリベンジしたい演目の一つです。

 二度目の夏公演。新入生を交えての始めての公演、そして三年生の引退公演でもある。カウンセリングを受ける潔癖症の女性もまた、私にとっては理解に苦しむ存在でした。

 冬公演。カラオケボックスに閉じ込められた三人の男女。私の「間を詰める」ことへの苦手意識には苦しめられました。抽象的な舞台は結構気に入っていたりいなかったり。

 空白の2020年。引退時を見失った。いつかまた公演を打てる日を夢見て、ひたすら夢見て、一年が経ちました。


 二週間後には、私にとって二度目の新歓公演が幕を閉じます。


--

 両親や仲間にはしばしば「本番に強い」と言われる私ですが、いつも、自分の出番が来ると足が震えます。それも観に来てくれた人の一部に気付かれるほど。頭では緊張しているつもりはないのですが身体が正直すぎるのか、開演してしばらくは震えが止まりません。時間が経つにつれて状況に慣れて、そこにテンションが乗ってくるといつの間にか震えは治まっています。

 本番の会場が纏う独特の空気ってとても魅力的です。通し練習のときも本番に近い状態でのパフォーマンスになるので「練習で手を抜いているのでは?」と言われたくらいなのですが(手を抜いたつもりはない)、本番はまた全然違う。一言で言うと、呑まれる。あの独特の空気に呑まれる感覚が好きで、私は演劇をやめられないのかもしれません。


 退屈な日常の中にぽっと現れる非日常の瞬間が、私はたまらなく好きです。例えば遠足の前や当日だったり、文化祭や卒業式などの行事だったり、あるいは部活の試合やテスト習慣だって、私にとってはどんな些細な非日常も楽しみでした。

 このまま時が止まれば良いと何度思ったことか。

 でも、非日常が長く続けばそれはいつの間にか日常になってしまう。非日常を非日常のままにするには、続いてはいけないんです。どんな瞬間も二度とは繰り返せない。だからそのかけがえのない輝きが私たちを魅了する。

 舞台もそんな非日常の一つです。ずっとこの瞬間が続けば良いのにといつも思う。


--

 昨日は道具作業でした。

 参加してくれたみんな、ありがとう。笛の特徴として、道具作業は部署を問わずみんなで行います。道具部署の人員だけでは到底全ての作業を終えられないからです。団員みんなの手によって笛の舞台は完成します。

 天候に振り回された一日でしたが、目的は達成できたので私は満足です。

 Twitterで投稿する写真にときどき写っていますが、どんな舞台装置になるかはお楽しみに。私は一チーフとして緊張で吐きそうです。嘘です。


 

 ああ、いよいよ引退が近付いている。信じたくない。やっとまた笛のみんなとやる演劇の楽しさに浸っているのに。終わりがくるからこそあらゆるものごとが素晴らしいのだと分かっていても、やっぱり寂しい。退屈にならない範囲で永遠に笛にいたい。


--

 冒頭に書いた通り、今回の笛にっきが現役時代最後になる予定です。

 最後の布教タイムいっちゃいます。


 田村由美先生『BASARA』です。あれ?前回もやったやn(ゴッホン

 

 物語のしんどいところそのいちー。実は双子の兄ではなく自分が“運命の子”だということ。

 ネタバレの範囲に入らないので言っちゃいましたが、そう、“運命の子”はタタラではなく主人公である双子の妹更紗なんです。でも彼女をはじめ村の人々はタタラが“運命の子”だと信じ込んでいる。そのタタラが殺されて村人は悲しみにくれるが、このままではみんな失意のうちに死んでしまうかもしれない。だから彼女もまた苦しみながら、自分をタタラだと、“運命の子”だと偽って立ち上がる。彼女こそが“運命の子”だと、預言者ナギはそのときようやく気付くんです。


 しんどいところそのにー。青装束の踊り子・揚羽。前回の笛にっきにも登場した彼。本当にどこをとっても美しいひと。美しく、したたかで、しなやかで、儚い、風のようなひと。更紗の正体を知る数少ない一人で、理解者の一人で、彼女を見守り続ける一人でもある。さいごまで光たる更紗の影としてあったひと。私が何を言っても薄っぺらくなるのですが、憧れの人です。幸せになってくれ。


 しんどいところそのさんー。朱里。少年漫画の要素を多分に含んだ『BASARA』ですが、あくまでもジャンルは少女漫画。タタラとして立ち上がったあと、戦いで受けた傷を癒すために訪れた温泉で更紗は一人の青年に出会います。名は朱里。その正体は、“運命の子”の宿敵・赤の王。互いに事実を明かさないまま惹かれ合う二人は、運命の渦に呑まれていきます。真実が白日のもとに晒された時、二人は、仲間たちは、どんな結末を迎えるのか。


 あれこれめっちゃネタバレじゃね?と思ったみなさん、ご安心を。全部冒頭数話で判明する事実なので、知ったうえで充分に楽しめてしまうんです。彼らの生き様を焼き付けるのにこのくらいの予備知識ではなんの影響もない。

 大切な人たちとの、行く先々での人々との、かけがえのない仲間たちとの、そして宿敵との出会いや別れ。ヒロインの波乱に満ちた旅路を是非追体験してみてください。


--

 ちょっと欲深すぎるのですがもう一つ。もうここまでくると誰も読んでないかな。

 舞台『TRUMP』シリーズ。誠なる吸血種”TRUMP”に捧ぐ、美しき残酷劇の数々。

 永遠に生き続けるのは、どんな気持ちだろう。

 ”死”という永遠に届かない星に手を伸ばし続ける気持ちは、どんなものだろう。

 痛みですら生を感じることのできなくなった悲しい”神”に、限りある命は何を求めるのだろう。


 永遠の命を、あなたは望みますか?


 名門デリコ家の子息ウル・デリコは、人間と吸血種の混血ダンピールであり、双方から忌み嫌われながらも気高く生きるソフィ・アンダーソンに惹かれていた。ウルの抱える秘密と、その残酷すぎる運命の迎える結末は。


 それぞれの作品を観るうちに回収される伏線の見事さや、単体でも楽しめる物語の精巧さ、美しく残酷な世界観やキャラクター。どこをとっても私の中でこれを超える作品は今後現れないかもしれないと思うほど。

 私が特に好きなのは、殺陣。いや物語ちゃうんかい。物語も心の底から好きだと言えますが、殺陣は物語を更に引き立ててくれるんです。例えば自分の身を自分で守るしかなかった者は粗削りなのに無駄のない剣さばきをしていたり、かたや貴族にもなると剣の振り方や身のこなしがスマートで洗練されていたり。キャラクターの生い立ちによって同じ殺陣でもまったく違う表情を見せてくれるので、殺陣をみるだけでも伝わってくるものがあります。

 統一された色味や舞台の装飾も好きなポイントです。繭期、人間における思春期を迎えた吸血種の少年少女は白の衣装を纏っていたり、大人のヴァンプは黒メインの衣装だったり、人間種は色彩豊かだったり。人間種メインの作品ではアシンメトリーな舞台装飾になっていたり、逆に吸血種メインの作品ではシンメトリーだったり。

 音楽とか物語とか作品ごとの好きなところとか、まだまだありますがこのくらいにしておきます。終わらない。

 このシリーズについて断言できるのは、大団円のハッピーエンドが好きな方には向かないということ。ただ、少なくとも舞台の好きな方にはぜひ世界観だけでも味わってほしい。


--

 さて、だいぶ楽しみました。

 もしかしたら今後笛にっきの私的利用が入るかもしれませんが、一応今回が最後ということで。

 今までさまざまな方にご迷惑をおかけしつつ、楽しく演劇をやってきました。みなさまに感謝しかありません。ありがとうございました。

 またこの場に現れることが果たしてあるかはわかりませんが、その時が来たらまた、しばしの間お付き合いください。


 では、最近とても暑いのでみなさまご自愛ください。

 そして、二週間後の公演を観に来てくださるみなさま、どうぞ日常を忘れてつかの間の非日常をお楽しみください。


 ここまで、劇団笛4年生の抱でした。またねー。


-------------------------------
劇団笛令和3年度新入生歓迎公演
『贋作・不思議の国のアリス』
作・松本大志郎 演出・杉本涼真
7月15日(木)20:00開演
7月16日(金)19:00開演
(30分前から入場可能)
@大学会館大ホール 入場料無料

山口大学演劇サークル劇団笛公式ホームページ

山口大学演劇サークル「劇団笛」のホームページです。 笛に関する情報を発信中!

0コメント

  • 1000 / 1000