私的利用とちょっとした謝罪

 昨日の笛にっきを読んで頂いた皆様、「こ、こいつら大丈夫か…?」と不快な気分にさせていたら申し訳ありません。

結論から言うと流行っているといいますか元からこうといいますか、まあ自分を下げて言う人は多かったですね。
2年生とかは「また始まったよ〜」くらいに思うかもしれませんが、まあ初めて聞く人はびっくりしちゃうかもしれません。

ひと言付け加えておきますと、笛はとっても仲良しでいつもと変わらず平穏にやっております。(付け加えることで逆に胡散臭くなる私の特技ったら!)

Twitterでも書きましたが言霊って不思議なものですね。



少し、謝罪がてら自分語りを聞いてください。


一晩色々考えていたのですが、少なくとも私にとって自己卑下はアイデンティティ、もしくは心の安寧を保つための手段なのかなって思いました。

ここまで生きてくる中で身につけた自己防衛手段でしょうかね。

自分に期待して、ちゃんとできなかった時のショックは計り知れませんから、ハナから自分に期待するのをやめたんです。
ハードル下げておけば、ショックは小さくてすみますから。

とってもとっても言葉は悪いですが、私は自分を「底辺」だと思って生きています。
親が見たら悲しみますかね。すみません、言葉悪いですがもうちょっと自分語りに付き合っていただけますと幸いです。

そんなことを思って何をしているのかと問われれば、私はそう思うことで自分を大切にして守っているんだと思います。
卑下が自分を大切にすることに繋がっているなんて、とんだ皮肉ですよね。

でも、底辺だからそもそも競走しない、という訳ではなくって、ご存知の通り私は負けず嫌いですから、底辺だからこそ常に上を目指したい、と思いながら生活しているという訳です。

追われるよりも追う方が楽ですからね。ただの怠惰です。常に1番で誰かに背中を追われ続けるのって、憧れるかもですがとってもきついんですよ。とっても。………ちょっとしたつまらない経験則です。

でも、そんな怠惰も私の努力の根源になっています。私にとって努力は呼吸です。だから、卑下がなくなったら呼吸が止まってしまいます。

そんな怠惰も、私の創作の根源になっています。私にとって創作はアイデンティティです。だから、卑下がなくなったらアイデンティティが消失してしまいます。

できた創作物に満足せず、「なんだこれ」と思いながら模索を続ける。「面白くない底辺だ」と自分の首を締めながら、そうやって納得のいくものを創り上げてる。
人に見せる段階ではある程度の自信を持っていないといけませんから、(でないと失礼に値します。)そこら辺の折り合いはちゃんとしていますが。


そんなこんなで、自分を落として言うことは、自己防衛であり、心の安寧であり、アイデンティティであります。

怖いんだと思います。

勇気がないだけなんです。

「自分は凄い」

そう思ったら、成長が止まってしまう気がして。(決して、言ってる人の成長が止まってる!と思っているわけではありませんので、悪しからず。)

自分に自信をもって、自分を愛せる人を尊敬します。そんな生き方、最高でしょう。

自己卑下をして生きている人、そんなに自己卑下しないで、貴方は素敵だよっていつも思っています。でも、私からすれば心の安寧に繋がるそれなので、そんな生き方もいいじゃない、って思ってます。あんまり悲観しないでよ、私はあなたが好きだよ、そんな想いを届けられてたらいいな、とは思いますが。

どんな生き方であれ、本人が納得して、心から幸せなら、それが一番ですね。

私はみんながそこにいるだけで、いてくれるだけで、とっても嬉しくて、大好きで、素敵だなって思っています。

気持ち悪いと思うので滅多に言いませんけどね。

まあ、一つだけ私の中でルールは決めて卑下してるんですよ?言い訳みたくなるから言おうか迷いましたけど…エヘヘ…

「卑下にルールとかお前…!」

はい、ドン引きされた気配がします。
いいじゃないですか、私は卑下のプロ。
やるなら徹底的にルールを守って。

〇卑下する時のルール

その1  他人に愛を求めない
その2  自己否定の否定を求めない
その3  他人を羨まない
その4  笑い飛ばされるレベルの言い方で
その5  過度な卑下をして周りを傷つけない
その6  かまってちゃんみたいにならない
その7  貰った愛は素直に受け取る

以上、7カ条でした〜

守れてないよ!!!って感じでしょうか。
だったら守れるように精進しますね。

まあ、自分の確立した生き方とか、自分が決めた道とか、夢中で歩いていると知らず知らずのうちに誰かを残酷に傷つけている時がありますよね。これは自省です。

視野は常に広く、心も広く。

時に自分の価値観を振り返って解凍しながら。

「みんな凄いなあ、私も頑張ろう!」

って生きていけたら嬉しいです。

私だって、「あなたのこと好きだよ、素敵だよ!」って言って、
「そんなことないよ。」って返ってきたら悲しいです。だから、私も、そう言ってもらったらちゃんと素直に受け取ろうって思っています。私にそういう感情を向けてくれてありがとうという精一杯の感謝を以て。


そして、人に愛を与えられる人でありたいです。

いやいや、自分で自分愛せてないのに何を言うか。

でもね。愛せてないから、どんな愛が欲しくてどんなことを望むのかがわかるんです。

100%はわかりませんよ。人のこと、わかった気になるなよって感じですから。

でも、そう、自分がして欲しかったこと、かけて欲しかった言葉、そういったものを出会う人出会う人に与えることができたら、それが私の幸せです。

1度は教育者を目指した身です。
それなりの教育論もあります。

自分を愛せる人が増えて欲しい、自己肯定感を持って生きて欲しい。

私のエゴかもしれないけれど、そんな想いをもっています。
だから、私は形だけの大人としてでも、
無償の愛をみんなに与えられたらいいなって
それがまあ、私の理想な訳ですね。

私が痛かった分、そんな思いみんなにして欲しくない。みんなには幸せでいて欲しい。


みんなは素敵だよ。

みんなのこと大好きだよ。

みんなは凄いよ。良いところを見つけるのが好きだよ。

苦手なことなんてみんなあるよ。苦手と向き合ってる姿も、かっこいいよ。

どんなところも素敵だよ。

胡散臭いかな。

本当よ。


愛って、「与えるもの」でしょう。


謝罪と言いつつ色々グダグダ書きましたが、
そうですね、無意識にも誰かを傷つけたり不快な思いにさせていたならすみません。

一重に私の責任です。もう少し思慮深く言葉を発せていれば、言霊として連鎖することもなかったのでしょう。

自分のことしか考えられない、1番の年上で1番の子どもは私でしょうか。

いつの日か言われました。
「自分を卑下して周りを上げられるのはきつい」

そう思ってくれる優しい人がいるものですね。

同時に罪悪感も抱いています。

でもほんのちょっと、前を向こうと、ありがとうと、思いました。


自分のアイデンティティの消失の危険と向き合う努力も、必要なのかもしれません。


私の周りにいてくれる人たち、私のせいで嫌な気持ちにさせていたらごめんね。

私がいることで、私と出会ったことで、
ほんの一瞬の時間でも嫌だなって苦しいなって思わせていたらごめんね。

これは言い訳がましい謝罪のにっきです。






それでも私はみんなが好きだよ。
横にいてくれるみんなが。
みんなの色々な生き方が、どれも素敵だなって思います。

劇団だね。笛だね。個性が強くって、全てが愛らしい。良いところも、価値観が合わないところも、全部ひっくるめて愛おしい。


優しさや愛が時に甘さにならないように気をつけながら。

自分に厳しく他人に優しく、

みんなは何をして欲しいだろう。

してあげる、だなんて上からなことは言えませんが、みんながして欲しいことをできる人でありたいです。

それが私の生きる形。

この先も色々な出会いを通して、私の価値観も変わりゆくのでしょうが。




名無しの誰かから、愛をこめて


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【劇団笛 令和3年度 冬公演】
『マリオネットに花束を』
脚本:藤井唯 演出:橋ヶ谷良太
日時:令和4年1月16日(日)
13:00開演・17:00開演
(30分前から入場可能)
場所:C.S.赤れんが ホールⅡ
料金:一般 800円 学生500円
(高校生以下無料)

山口大学演劇サークル劇団笛公式ホームページ

山口大学演劇サークル「劇団笛」のホームページです。 笛に関する情報を発信中!

0コメント

  • 1000 / 1000