砕片をつまむ

    おはようございます。こんにちは。こんばんは。

   杉本涼真です。初めましての方は初めまして、以前お会いした方はお久しぶりです。

   暦の上では師走になりましたね。最近は朝晩の冷え込みも厳しく、あまりの寒さに寝つきと寝起きの質が下がっているこの頃です。冬の朝晩は何年たっても慣れません。夢心地に浸る私を襲う、身体の芯から皮膚へ向けて波が揺らぎ伝わっていくようなあの感覚。あの感覚のせいで、最近のわたしは寝不足気味です。冬の朝晩は、とくに十二月の朝晩とはなかなか仲良くなれません。冬と和解できる日はいつか訪れるのでしょうか。今はまだ分かりません。

   身も縮こまる季節ではありますが、練習はいつも通りあります。本番も着々と近づいてきていることですしね。それに、練習をしていればたとえ、気温が低くとも、おのずから身体は温まってくるものです。そして身体が温まれば気持ちもまた少しは融けてきます。心身が冷えてしまっても、とにかく動いてみるということは大事なことなのかもしれません。

   そういうわけで、本日はまず、本公演『マリオネットに花束を』の役のままで演技をするエチュードを行いました。これがなかなか難しく、台詞をなぞる際には構築されていた役の個性がエチュードでは途端に破綻してしまったり、役の厚みが表せなくなってしまったりと、団員の顔には困惑の表情が浮かんでいました。しかし、困惑は必ずしも悪いものというわけではありません。困惑による動揺は新しい道を見つけるきっかけにもなりえます。地殻変動によって今までの景観が崩れる代わりに、新しい景色や断層が見えるようになるのと同じです。実際、役の造形を捉え返すあるいは役の歴史にまで視野を広げることができた団員もいました。演じることへの向き合い方を見直す契機となりうるエチュードだったといえると思います。今日これなかった団員ともまた実施したいですね。

   エチュードのあとは場面ごとの練習に移りました。練習では、台詞の間違いや忘れ、動き方や言い方の機微の問題、舞台構造の共有など、課題が多く見つかりました。自分の頭の中では完成していたものが、いざ誰かを前にして伝えることになると途端に吹き飛んでしまったり、歪んでしまったり、変質してしまったりすることは、舞台の稽古をしていて少なくありません。これもまた動揺の一つだと思います。ひとつひとつの動揺を捨て置くのではなく、拾い集めてもう一度組み合わせていく。そうすることできっとその動揺は糧になるのかもしれませんね。一歩ずつ着実にこなしていきたいと――自戒の念も込めて――思います。

   本日の練習は動揺との向き合い方、とりわけ動揺の創造性という観点が底を流れていたように私には感じられました。動揺とは揺らぎ、あるいは現状の崩壊とも言い換えられます。そんな動揺が実は新しい地平を切り開いていく力を秘めているということについて、藤原辰史という思想家は次のように言っています。


積み木は、積み上げるときに負けず劣らず崩れるときにも子どもを興奮させる。崩れ方だけでなく、崩れたあとの有様からつぎなる想像と創造の糸口を探すことが、教育学者のフレーベルにとって子どもの教育の重点でもあった。ちょうど、負荷をかけ切れた筋繊維が修繕するときに前よりも太くなるように、あるいは、食事後の歯のエナメル質が酸によって溶けたあと、唾液によって再結晶化されることで、虫歯が常時防がれているように、あるいはまた、包丁を研いで刃が削られたあと、砥石の表面のネバネバした研どろが包丁をふたたび鋭利にするように、傷跡を無視するのではなく、凝視し、観察し、埋めて、なお装飾するという行為はつねに過剰さを抱えている。過剰さは、傷との等価交換ではなく、治癒後の新たな展開さえ担おうとしているかのようだ。(藤原辰史著『分解の哲学:腐敗と発酵をめぐる思考』初版、青土社、2019年、p.p.291-292)


わたしなりにこの文章を読むとすれば、次のようになります。〈傷痕〉はなにかが壊れたあとに残される痕跡であるが、それを「無視するのではなく、凝視し、観察し、埋めて、なお装飾するという行為」にはつねに「過剰さ」というものが内包されています。「過剰さ」、それは〈傷痕〉を単に、状態の崩壊、部分の欠損、やりなおすはめになったきっかけ、といった負の価値の痕跡としてみて、それを元に戻すという正の行為で埋め合わせることで零点での均衡を保とうとする、いわば「傷との等価交換」を指すのでは、決してありません。むしろ「過剰さ」とは、〈傷痕〉を「治癒」した先に広がる地平がすでに〈傷痕〉を「凝視し、観察し、埋めて、なお装飾するという行為」には含みこまれているという意味での、いわば可能性の「過剰さ」を指すのでしょう。その「過剰さ」を前に私たちはある種の興奮や喜びをもって、〈傷痕〉の修復に勤しむ。藤原は以上のように述べていると私は考えます。

   藤原の考えは、動揺を前にしている私たちにも当てはまるのではないかとぼんやりと思います。つまり、動揺にはすでにその先の変化の兆しが無数に開けている、と。その意味では、本日は極めて実りのある練習を行えたと言えるのではないでしょうか。

   動揺しては壊れて、壊れては散らばった欠片を拾い集めて、集めた欠片を新しい配置に組み替えてふたたびかたちを作り上げていく、完成したものはまたふたたび動揺して……。そうしていつかは、満足するかたちに完成するのでしょうか。それはこれからのお楽しみですね。

   ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

   それでは、またお会いしましょう。

   失礼します。

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【劇団笛 令和3年度 冬公演】

『マリオネットに花束を』

脚本:藤井唯 演出:橋ヶ谷良太

日時:令和4年1月16日(日)

13:00開演・17:00開演

(30分前から入場可能)

料金:一般800円 学生 500円

(高校生以下無料)

場所:C.S.赤れんが ホールⅡ

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