何かを「知る」ということ

 笛日記発投稿の者です。が、すみません、諸事情により自己紹介は省略させていただきます。投稿者名では「sharo(シャロ)」と名乗らせてもらいます。

 さて、皆さん、『チ。‐地球の運動について‐』というアニメご存知でしょうか。聖書がこの世の全てだという考えが大半を占めていた、15世紀のヨーロッパを舞台としたこのアニメでは、タイトルからも予想できる通り、登場する主人公たちが様々な障壁に直面しながらも「地動説」を証明するといったストーリになっています。地球を動かすといった真理と信念のもとで、人間の美しさや醜さ、強さや弱さといった生の本質を垣間見ることができます。

 このアニメの影響もあり、最近常々思うこと、心の軸として添えていること、それは「生きること」=「何かを知るということ」です。過去の経験や想いから、ずっと世界を見ようとしなかった人物が初めて世界に向き合ったとき、それに対してあるキャラクターが「それが、何かを『知る』ということだ」という名言を残すのですが、最近ようやくその言葉の含む意味を自分なりに解釈できるようになってきたなと感じます。これは、「何事も経験だ」といったよく聞く考えとも似ています。この世のほとんどをまだ「知らない」現状にあって、窮屈でせわしなく、時に退屈な生活の中から湧き出た疑問や興味関心を取りこぼすことなく拾い上げ、「知りたい」という欲に忠実に向き合って探究すること、そしてその行為や「知りたい」と思えたこととの出会いに対して喜びを感じれるようになること、これは人間が人間として生き続けていく上での「幸せ」を感じるための策の1つだと思います。私自身、将来のことを考えなくてはならなかったり、課題が大量にあったり、対人関係の悩みや不安があったり、金欠に苦しんだりする生活の中で、ふと「なんの為に生きているんだろう…」と感じることが無きにしもあらずでしたが、「知りたい」という欲に忠実に、もっと言えば「強欲」のマインドを身に着けてからは、忙しさこそ増しましたが、充実していると感じられるようになった気がします。

 思考停止じゃもったいない。せっかくなら、強欲に生きてみて下さい。あと『チ。』アニメでも漫画でもいいのでぜひ見てみてください。(OP,EDもめちゃいいです。)


2025/04/18 投稿者:sharo

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