全く意味がわからねぇ

読書は大嫌い、でも文学するのは好きだったりするパオタンが書かさせていただきます。

世の中にはいろいろな思想や哲学があふれています。それの一つ一つに触れていくととても面白いのです。
それは小説もそうなのです。文学しなければ作家の考えが見えてこないのです。だから僕は読書という単体の行為が嫌いなのです。

演劇にしても、人それぞれの演じ方があって、とある二人を見ていると時々そう思えるのです。
それでも演劇には本を読むときのような文学する、という行為がなかなか適用しがたいのです。たとえば客にしてみれば、一過性そのものなので、難しいのです。でもその一瞬を楽しむという行為は多分高校野球の甲子園にも似たものだと思うのです。それができるのは多分、作る側、見せる側なのです。観客にしてみれば見終わった後に考えること、これが本で言うところの文学なのかもしれません。それでもやっぱり一過性なので、それは正しいものなのか、わからないのです。

ここでも、僕のこういった一つの考え(思想?)があらわれる。
これに反論する人も必ずあらわれる。

これを弁証法で真理に近づけていくと、何が見えてくるのか。
それは新たな哲学なのです。
でもそれは語れないことなのだと思うのです。

ウィトゲンシュタインは「語りえぬものについては,沈黙せねばならない」という言葉を残しているのです。
つまりそういうことです。

はい、全く意味が分からないっていう書いた本人でも不思議です

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